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こんにちは!
今最も熱いドラマ「陸王」にとうとう熱い男、松岡修造さんが登場しました。
といっても7話の最後に気合い十分の表情で日本に帰国する修造さんの姿が画面に映し出されただけでしたが。
松岡修造さんの登場シーンには
修造キターー!!
シビレタ~!
ちょっとだけすぎる~!
と、注目の高さがうかがえるツイートが飛び交っていたようです(*σ´д)σ。
陸王に松岡修造出るっていうから調べてみたら死ぬほど笑ったwwww pic.twitter.com/G99m8y4MJD
— 勇者リリー(Lv.1) (@choucholily0822) 2017年12月6日
あ、アツゥい!٩(๑´3`๑)۶
松岡修造さんの気合いの入れ方がはんぱない😬#陸王#松岡修造 #王様のブランチ pic.twitter.com/OWTk7jnTC0
— 陸王応援チャンネル (@rikuouCh) 2017年12月4日
空回りしなきゃ良いけど・・・
陸王
新聞に松岡修造の名前あったので、いつ出てくるのかと楽しみにして見ていたが、番組最後にやっと、なんか怖い顔して出てきた。 pic.twitter.com/wsmbDdS2Az— せんせい (@ddydt28) 2017年12月4日
ワンシーンで話題独占のスター性٩(๑´3`๑)۶
ちょっと話しはズレますが、第7話の「陸王」のこはぜ屋のボロボロ度合いが凄まじかったですね。アッパー素材は見つからない、シルクレイの機械は燃える。
そんなどん底、よく1話にまとめたわ(^^;)。
そして松岡修造さん演じる御園社長の登場。彼が救世主となるのか、はたまた敵となるのか。で、松岡修造さんのパリッとした社長姿に想いました。
この方、確かリアル「華麗なる一族」のご出身でしたよね?
日本一「暑苦しい男」としてどちらかと言うとバラエティ寄りの扱いを受けていますが、本来はこのパリッとしたスーツ姿が似合う社長であってもおかしくないわけです。
というわけで、今回は松岡修造さんの社長姿に見え隠れする、松岡修造さんのもうひとつの顔を探っていきたいと思います!
目次
ざっくり言うと
- 親家族親族に社長他金持ち大杉
- テニスの世界的プレイヤーとか出来杉
- その上漫画のような苦労もしている
- 経歴から言って今回は演技をしないほうが良い
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松岡修造が「華麗なる一族」と言われる理由
松岡修造さんの家系を見ると、色々凄過ぎて度肝を抜かれるでしょう。
松岡修造の父:松岡功
東宝名誉会長(元代表取締会長)。
東宝といえば日本を代表する映画会社ですが、なんとそこの名誉会長をされているのです。他にもフジ・メディアホールディングス、フジテレビの取締役などなど。ここには書ききれないほどご活躍されている実業家です。
松岡修造の母:千波静
元宝塚歌劇団星組男役。
目鼻立ちのくっきりとした端正なお顔立ちのお母様は元宝塚の男役でした。松岡修造さんの娘さんが宝塚に入り男役を目指すと話題になりましたが、祖母にあたる千波静さんの影響もあったのかもしれませんね~~。
松岡修造の兄:松岡宏泰
お兄さんは東宝東和の社長をされています。お父様の跡を継がれたようですね。
松岡修造の妻:田口恵美子
ハーバード大学卒の元テレビ東京アナウンサーです。才色兼備とはこういう方のことを言うのでしょう。
ちなみに、曾祖父にあたる小林一三さんが東宝や宝塚といった阪急東宝グループの創業者にあたる方のようです。
他にも、ご親戚には政治家や、大手企業の社長、会長、元社長、元会長、校長などなど、とにかくあげればキリがないほどの実業家、政治家、著名人が揃っているご一族なのです。
とにかくとんでもないお坊ちゃんなのです。
「レストランなどでの注文をメニューを見て5秒以内で決める」
という松岡修造さんに
何のために┐(‘д’)┌??
と思っていましたが、なるほど。その決断力の高さは実業家の血なのですね?と、今後は理解していきたいと思います。
松岡修造の経歴のおさらい
松岡修造 = 気合い 本気 熱血
アニマル浜口 = 気合いだ 気合いだ 気合いだ
松岡修造 ≒ アニマル浜口
ということにならないために、松岡修造さんの経歴について簡単に説明していこうと思います。
松岡修造さんはあの有名な慶應義塾幼稚舎に入学しています。
さすが一族ですね。
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慶應義塾中等部、高等学校へと進みましたが高校時代には既にテニスに没頭しており、テニスの名門である福岡県の柳川高校へ転校します。そして柳川高校に転校後、ヨーロッパ遠征の選手に選抜され、柳川高校を休学してヨーロッパ遠征に行くことになります。柳川高校を休学中、アメリカ留学に誘われ柳川高校を中退、アメリカのフロリダ州にある高校に籍をおいてテニスに打ち込みます。
アメリカの高校を卒業後、1986年に晴れてプロテニスプレイヤーとなりました。1992年には韓国オープン、ATPツアーでシングル初優勝。ウィンブルドンでは1995年大会でベスト8に入り、プロテニスプレイヤーとしては当時の日本人最高位46位をマークするテニス界のエースとなったのです。
引退後はテニスのコーチとしてジュニアの育成などに力を入れて活動されています。ジュニアといえば、あの錦織圭さんの育成にも携わっていましたよね。というわけで、松岡修造さんは日本のテニス界を牽引し世界で活躍してきたテニスプレイヤーなのです。
身長188センチ、イケメン、黙っていたらそれはもう、かっこ良かったでしょうね。
…黙っていたら。
松岡修造がプロテニスプレイヤーになるまでの「陸王」顔負けの苦労話しとは!?
松岡家は財界の一族として活躍する中でしたので、松岡修造さんが選んだプロのテニスプレイヤーという道は簡単に許されるものではなかったようです。お父様である松岡功さんも、実は名テニスプレイヤーだったそうですが、実業家の道を進むためにテニスを封印し、トロフィーなどの全てを処分した過去があるそうです。
処分することは、なかったのでは(;・∀・)?
とも思いますが、そこはやはり、熱血の家系なのでしょうか。松岡修造さんでさえ、お父様がテニスで活躍された過去を知らなかったというのだから驚きです。
慶應義塾高等学校から柳川高校へ転校したいと申し出た時もかなり反対されたようです。しかしあの熱さで説得されたら、さすがのご両親も折れますよね。アメリカ留学ももちろん大反対されたようですが、大学に進学することを条件に許されました。ここでも松岡修造の熱い想いが勝ったわけです。
留学中に大学進学を諦め、プロのテニスプレイヤーを目指す時がくるわけですが、その時にはご両親からの資金援助は一切なくなりました。スポンサーは自分で見つけ、お金を工面しながら世界を駆け巡り、ホテルの朝食で出たクロワッサンを隣のテーブルから盗んで食べたりしていたようです。
貧乏生活の中でプロ選手となったわけですが、80年、90年と膝、靭帯と大きな怪我を負い、選手生命まで危ぶまれます。
海外で日本人がプロテニスプレイヤーとして活躍することがまだまだなかった時代に、このような苦労を背負っていたとしたらかなり壮絶です( ゚д゚)。
しかし怪我を克服してその後は大きな功績を残します。1995年のウィンブルドンでは、外国人だらけの観客の中「修造!自分を信じていけ!」という日本人の声援が聞こえたそうです。この声が力になったと後に語っており、これは現在の松岡修造さんの「熱い(暑苦しい?)応援」に繋がっているようです。
貧乏生活に加えて選手生命が危ぶまれるほどの大怪我・・・。
まるで第7話のこはぜ屋どん底状態ですよね。壮絶です(;´Д`)。
ちなみに演技力は?
読んで頂ければわかるように、松岡修造さんの財閥坊っちゃんぶりは生まれついてのもの。要するに
今回の社長役は演技ではなく素でやればいいのです。
そ、そんな突破口があったとは…((((;゚Д゚))))
敵なの?味方なの?
恐らく買収する
↓
敵か!?
↓
断る
↓
でもヤバい
↓
では期限付きで融資してやる、ダメなら没収ね
↓
結果的に助かる
↓
共に頑張ろう
の流れになると読んでいます。敵に見えて救世主ぱてぃーん٩(๑´3`๑)۶
まとめ
松岡修造さんのパリッとしたスーツ姿の社長役を見て、彼の家系をよく知る方は思ったでしょう。
本来なら、こんな風に大手企業の社長になっていた人だろうに。
そう、もうひとつの彼の顔が「陸王」にはあるわけです。これは財閥の御曹司がそのまま家業を継ぐという世界線の話。松岡修造さんの社長姿、見てみたいと思いませんか?
「編集が怖くて、テレビなんか出られるか!!」
・・・きっと熱い演技をしてくれるはずです。
「今日から君は噴水だ!」
「自分を持ちたいなら、サバになれ!」
意味不明だったこの名言も、なんとなく深く感じるように・・・。いや絶対演技しない方がいいよね・・・(´・ω・`)
最後までご覧いただきありがとうございました!
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